僕は飲み会が大好きだ。 昔は積極的に参加し、今では旺盛的に企画すらこなしてる。
とは言え、酒好きってだけでそう振る舞っているワケではない。 何より好きなのは、会の熱量。 友人と楽しむ宵の宴だ。 その熱量を調整し、自分好みに誘導する為、必死こいて指揮棒を振りかざしていくんだ。
どんなに楽しいメンバーでも、代わり映えの無い繰り返しでは芸がない。 何気ない日々に差し込むなら“いつもの”もいいだろうが、時に大きく弾けたい夜もある。 それが例えば新年会だったり、自分の誕生日会だったり、忘年会だったりして。 人数だったり規模だったり、でっかいことをやりたいなあって、望む、望む。
当たり前だけど、飲み会は、イベントは、一人では限界がある。 指揮棒を振りかざす、って言ったけど、僕が出来るのは会の調整が関の山だ。 参加メンバーの人数、質、会場の空気、イレギュラー時の化学反応は、全て周り次第って話。
だから何かのイベントを打とうと思った時、同じ熱量を持った誰かの存在ってのは凄く大きい。 多ければ多いほどありがたいが、少数だとしたって、僕一人に比べたら十二分だ。 友達の結婚式の出し物、誕生会のサプライズ、バーベキューの下調べ、キャンプの役割分担、どれを取っても一人では熱量が保たない。
保たないからこそ。 保ってしまった時の、保たされてしまった時の感動もひとしおで。 嗚呼、みんなの力って凄いなあ、一人ってのはちっぽけだなあ、って、そう何度も感じたいから、押し上げられたいから、せめて必死に指揮棒を振りかざす。 振って、願って、振って、願って。
飲み会の幹事とは、絶対のカリスマや、尊大な態度で会を率いるリーダーなんかじゃない。 成功のビジョンを、幸せのイメージを投影して、みんなを導こうと必死に祈り、縋る、祈祷師。 そう、僕のペニスの先端にあるものと、同じ――――
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ある時期、仲良くし始めだったグループが毎年40人規模の忘年会を打ってたんです。 何の人脈もなかった当時の僕は、参加するや否や、ただ無数の出会いに驚喜して、我を忘れて酒池肉林に溺れて、ウヴォァーッ!ってなっておりました。 価値観の革命とはまさにこのこと。
そのインパクトが忘れられなくて、毎年のように参加しようと手を挙げて、面倒だから縮小しようって空気になっても自分で企画に声を上げて。 そうやってるうちに自分にも人脈というか、提供出来るものがどんどん増えてきて。 必死に指揮棒を振って、振って、振ってたつもりだったけど、振ってたのが鉄の小槌だったなんて、肩が外れるその瞬間まで気がつかなかった。
結局僕は、過去の栄光に、熱量にずっと縋っていて、再現させようとしてたんだろうな。 でも時は過ぎ、みんなの気持ちも、環境も変わる。 もしかしたら、僕が指揮台に付いたことで変わったこともあるかもしれない。 自分の行動に悔いは無いけど、思考の端には常においておかなければいけない憂慮だ。
それでも、生まれたグループは心地が良くて、今一番楽しいメンバーと言っても過言では無い、・・・んだけど、至上のメンバーだから最高のパーティーかと問われると、それは、うーん。 秀逸であることに違いは無いんだけど、うーん。 マンネリや親しみに落ち着きを感じるほど、安らぎを求めちゃいないんだよなあ。
合コンだったり、相席居酒屋だったり、僕が探してるのは多分恋人じゃなくて、純粋に新たな出会い、新たな扉なんだと思うんです。 常に新たな風を探して彷徨っていたい。 定着したらあとは腐り落ちるだけだから、止まったら死んでしまう回遊魚のように、繰り返しであっても進み続けるしかない。 泳ぐ進路は日々狭まり、刹那に五体を削られながら、それでも掻き分けて。
そうやって生きていく為には、もう、指揮なんて悠長なことは言っていられないのだろう。 叩く、叩く、叩いて、新たな熱源を、掘り起こす。 叩いて、叩いて、叩いて、叩いて。 それが、冷めた鉄とわかっていても。 外れる肩を無理矢理入れ直して、僕は願うように、祈祷するように、金槌を振り下ろす。 そう、自慰するならこの突起、亀頭、振り擦る――――(体重全然減らないからオナニー全然出来ねえファック)
