時が苦痛ってのを洗い流すなら

 時の流れは残酷なほど優しく、残酷なほど冷たい。 何者にも平等に、平坦を与える。

 

 果てない喜びも、激しい怒りも、深い絶望も、代え難い幸せも、焦がれた恋も、途切れた希望も、成し得た夢も、綻びた絆も、全て、全て、中心に向かって平均化される。 永久不変の想いなんてない。 永遠を謳いたければ、溢れぬように、枯れないように、少しずつ、ずっと、少しずつ、ずっと、注ぎ続ける他、無い。 それこそ永遠、永遠に近い期間、ずっと。

 僕は、風化する全てが嫌いだ。 あの時の感情が、この時の感情が、時と共に薄れ逝くなんて我慢ならない。 それはきっと、別人格への推移に等しいのだろう。 かつて抱いた感情が希望であれ、絶望であれ、刹那に抱いた激情を殺されるというのは、もう一人の己を殺されるのと同義だ。

 つまり、時の流れは僕を殺し続けている。 結果として、激情から僕の身を守っていたのだとしても、事実に変わりはないだろう。 その殺戮行為が如何に正当な現実であろうと、受け入れる事なんて出来やしないのだ。 だってそうだろう? 君は無差別殺人鬼を、世の常として許容するか? 当たり前が正義ではない。 当たり前が常道ではない。 当たり前のこと。

 

 この自然の摂理とも言える超現象を、少なからず利用して暮らす人間がいる。 喧嘩した後、直接的な解決案無しに自然修復を狙ったり、激しく恋い焦がれてきた相手に対し、避け続けることで気持ちの減衰や満身創痍を図ったり。 想っただけで腹が立つ。

 だって悔しいじゃない。 産み出した強い感情が、前傾姿勢が、消極的な静観対応なんて手段で殺されるなんて。 打ちのめされる覚悟で駆け出したインファイターが、逃げ腰のアウトファイターに敗れるなんて、知性派気取りのインテリどもの思い通りになるなんて、腹立たしいじゃない。

 あの頃は若かったね、あの頃はおかしかったね、なんて総まとめ、誰も頼んじゃいねえんだよ。 抱いた感情は墓まで持っていく。 取り下げる機会があるとすれば、直接的に誤りを自覚した瞬間、突き出された拳に意識を持って行かれた時だけだ。

 くだらない意地が、執念が、周囲の印象を汚したっていい。 他の誰でもない、激情の主たるあの頃の僕の為、誰より何より過去のアレコレにこだわって生きてやるんだ。 僕が救わずして、誰が僕を救う? 水増ししてでも、作りもんの感情で埋めてでも、もう一人の己は殺させない。 殺させやしないんだ、僕が。

 

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 時が苦痛ってのを洗い流すなら、僕は大波に震える碇でいい。 大切な様々に置いて行かれても、大切な様々を必死に繋ぎ止めてやる。 繋ぎ止めた大船が泥舟だったとしてもだ。

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