人生とは、フラグ管理だと思う。
可能性は無限大とか、努力すれば夢は叶うとか、美辞麗句が並べられた平成初期に比べ、無限なのは選択肢であるとか、実現有無はさておき成功者はすべからず努力をしているとか、随分と現実的な標語に移り変わった昨今。
確かに、100に辿り着こうとすれば、100に向けて実数を加えていかなくてはいけない。 加えた数値が0だったり、進行方向がマイナスの座標軸だったり、重ね方が割り算や引き算だったり、そもそものスタートが虚数や平方根では、100という目標には到達し得ないだろう。 『方向』や『方法』、『素地』で夢を語るのは実に理数的で、正論でマウント取ることがステータスとされる現代社会において、如何にも支持されそうな変遷だ。
だけど、目的地は本当に『100』だろうか。 物事を簡略的に表すため、共感を得ようと抽象性を求めるため、誤った比喩による誤った計算式を提示してはいないか。
人生とは、フラグ管理だと思う。
世界には、それこそ無限のフラグが存在する。 それは『男である』『東京に住んでいる』といった大前提的ステータスから、『英語が理解できる』『ダンベル100キロ持てる』といったパラメータ的なもの、『昨日イライラしていた』『さっき美女のパンチラが見えて気分がいい』といった気分、『仮性包茎の手術跡が残っている』『デブと罵られた過去がトラウマ』といった傷病歴など、ありとあらゆるものがフラグとして記録される。
そのあらゆるフラグのいずれかが、目的と類似した『イベント』の発生条件をクリアした瞬間、目的は突然果たされるのだ。
『イベント』とは事象である。 例えば『プロ野球選手になる』という唯一無二の目的を掲げたつもりでいても、その到達方法は無限に広がっている。 ドラフト1位~6位で考えても6通りあるのに、どの球団か、高卒か大卒か社会人か(留年・浪人の有無で更に変動)なんて考えれば、この時点でも数百の叶え方が存在する。
ここから更に、政治家になってプロ野球の在り方を変え、ドラフト制度を廃止しセレクションによって入団可能にするだとか、地球以外の星に移住し「プロ野球」を生み出すとか、死んだ後プロ野球選手に憑依するとか、神となってプロ野球選手になるなんてトンデモ理論を加えていけば、それこそ叶え方は無限大となる。
そのうちの一つ、何かしらの『~によってプロ野球選手になる』というイベントに必要なフラグを満たした時、『プロ野球選手になる』という大項目は達成されるのだ。
それを、無限の選択肢、分岐路を選び続けた結果だと言い張れば、やはり目的達成とは足し算で、道のりの踏破なのだと主張する人もいるだろう。 しかし、自分で選んでいない不意の出来事だってある。 暴走自動車による交通事故や、曲がり角の先で衝突する転校生など、どの数値を溜めたらそんな事象にブチ当たるのか、説明のしようがないイベントの群れが、世と人生には溢れかえっているではないか。
一見、何の意味もないイベントが、別のフラグを立てる条件になっていたり、そのフラグが別のイベントを立ち上げる条件になっていたり。 世界は間違いなく連鎖しており、円環していると言える。
どのフラグがどのイベントにたどり着くかなんて人智では測れず、正解に向かえそうなフラグを手当たり次第立てまくるしか術はない。 そして、それでも失敗はするし、挫折も座礁も大いに起こり得るということを、私たちは覚悟しておかなくてはならない。
だからこそ、何かの拍子で、いつかの夢が突然花開くことだってある。 選択や努力とは遠く離れた場所で、いつかのフラグがイベントの芽を育てているかもしれないのだ。 それは必然的な予定調和でも、偶発的なカオス理論でもなく、確かに私が振りまいた種であり、だからこそ、それでこそ、人生は面白いのだと。 私は胸を張って、君に告げることが出来よう。
