どうすれば遅刻しなくなるか? 「早く行動すればいい」「いつもより5分早く行動すればいい」「遅刻しなければいい」
どうすれば酒に酔わなくなるか? 「酔わないよう気をつければいい」「酒を飲まなければいい」
どうすれば大人の心を持てるか? 「子供の心を捨てればいい」
出来る人ってのは基本出来ない人の気持ちが分からない。 そこに到る経緯が理解出来ない。 それらが発生する契機が想像出来ない。 だからアドバイスなんて出来っこない。
出来ない事は別にいい、にも関わらず、なまじ能力があるせいでアドバイスをしようとしゃしゃり出る。 その結果が冒頭のクソアドバイス。 それが出来るなら誰も苦労はねえんだよスカポンタン。
最初の遅刻に関しては例でもメタファーでもなく完全に僕自身の話で、ありとあらゆる人から注意され、改善を促されます。 遅刻が良くない事なんて自分自身が一番よく分かってる。 本当に遅れちゃいけない時や、絶対に遅れたくないと思う時は遅刻していないのだから、不治の病じゃないことも明白。 原因はどう考えたって、僕の心の怠慢だ。
怠慢が悪いから、怠慢を直せ。 そんなの当たり前。 わかっちゃいるのにやめられないから困ってるんだ。 本当に困ってないからやめられないんだろ?って、それまた仰る通り。 遅刻する事で人間関係が崩壊したり、遅刻する事で世界が滅びたりしたら、僕の認識も変わるかもしれない。 でも、遅刻程度で崩壊する関係も世界もクソだって思うから、結局は治らないんだろうなあとも思う。
そもそも、仕事でもないのに13時なら13時、14時なら14時ジャストに時間を区切って集まる必要性があるのだろうか。 お互いに無駄な時間を作らないためとか、そもそも遅刻という不義のために正しくスケジュールをこなした人間が待ち時間という名の不利益を被るのはおかしいとかあると思うのだけど、そんな1分1秒を争わなくちゃいけないほど僕達って時間に追われているのかな。
映画の上映時間やお店の予約時間、はたまた待ち合わせ時間にまだ家を出ていないとかは問題外として、僕は相手が数十分、場合によっては数時間遅刻しても苛つかないし、それならそれで目的地を散策しようとか、この人と待ち合わせする時はウン十分遅れてくることにしようとか、そういう発送の転化には繋がらないのだろうか。
・・・なんて、こういう発想は「俺は我慢できるのに何故お前たちは我慢できない?」という冒頭のクソ発想と同じなので、世間一般には遅刻は許されざるものだと(自分は共感出来なくても)理解してようと努力しているし、その苛々と、苛々を与えてしまっていることを想像して、遅刻の度に胃を痛めたり(これよく嘘だって言われるけど本当、本当なんだって!)もしている。 なら遅刻やめろよって、いやそうなんだけどさ、これ堂々巡りなんですよね。 困ったものです。
閑話休題。
ではどういうアドバイスが適切かって、『全ての時計の時間を5分進める』『遅刻した場合に自分ルールで罰を与える』『遅刻の可能性がある約束を一切結ばない』などが、いわゆる具体的な改善策であると思う。 それらの即効性はさておき、真に改善させようと思うなら、このくらいのことは実施させるべきだ。
でも、一番最後の『遅刻の可能性がある約束を一切結ばない』などは、場合によってはその問題児と生涯遊ぶ約束を結べなくなる可能性がある。 仕事や大事な約束以外遅れてしまうとなれば、友人との気楽な遊びの約束は全て遅刻の可能性があるからだ。
悪い部分を肯定する必要は全くないが、過ぎたる否定は極端な別離を生む。 完璧な人間などいない以上、誰もが何かしらのコンプレックスやマイナスポイントを抱えて生きている。 そのマイナスポイントの全てを潰そうとする行為は、人格否定に他ならない。 この程度ならすぐに直ると思ったなんて、誰の杓子定規でこの程度なんて決めつけてんだ。
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悪い部分を羅列して「大人になれよ」「成長しろよ」なんて訳知り顔で吐き捨てる自称親友たちがいる。 どんなに思いやった言葉でも、それらの欠点が直らないと自分は友達として認識されないのか?なんて穿った見方しか出来ない。
友人が自分と同じ欠点を持っている必要はない。 共感も出来なくたっていい。 ただ、精神論だからといって、やればできるで押し通す人間が嫌い。 麻薬は抜けだすのきついけど煙草はなんとかなるし、寝起き時にパッチリ起きるのなんて完全に自分次第!とか、その中毒性や牢獄感を、自分の感覚、世論だけで決めつける人間が嫌い。 感じ方は千差万別。 同じ人間という器で、別の人間を正そうとか、驕りがすぎるんじゃないかな。
だから僕は、酒を飲まず、己を殺して全のみを考え、遅刻を一切しない人間じゃないと付き合ってくれない親友様より、酒に酔い、オレオレ主張で場を乱し、毎度懲りずに遅刻しながらも、最期には反省して謝る僕を良しとしてくれる友達にこそ、欠点を直した自分を捧げたい。 許容にこそ改善を捧げたい。
そう思う僕は、歪んでいるだろうか? 少なくとも、ちんちんは、少しだけ曲がっている――――
