過去とは常に若気

 高校に入学して音楽や異性と遊ぶ楽しさを知った時、中学以前の自分がいかにお子様な遊びで満足していたかを思い知り、恥ずかしくなった。

 成人して一人暮らしを始めた時、実家で家庭に守られながらもそれに気付かず、自立した大人の気になっていた浅慮を痛感し、恥ずかしくなった。

 引っ越して昼の仕事を見つけ、一般的な暮らしを始めた時、夜勤と酒にまみれて何一つ形に残る経験を得られなかった刹那的な生き方を後悔し、恥ずかしくなった。

 アルバイトを卒業して契約社員になった時、夢だの何だのと理由をつけて定職に就くことを拒み、責任のない立ち位置でもっともらしい愚痴をバラまいていた厚顔さを自覚し、恥ずかしくなった。

 

 過去を恥じる時、常に『今は違う』って自負を持ってた。 若かったなあ、青かったなあ、って回想しながら、『今は成長したけどね』って内心ほくそ笑んでた。 繰り返し、繰り返し。 前に進んだ証みたいなものが欲しくて、過去を土足で踏み荒らし、轍だのなんだのって吠えたてた。

 クソガキだなあ、と思う。 過去は勿論、今も。 きっと未来も。

 それはとっても嬉しい事で。 過去を悔いれば悔いるほど、誤りを認識出来る自分に成長しているという証。 変わらないものなんてないし、揺るぎないものなんてない。 絶対の正義も不変の正解も無いのだから、常に最善を目指せる自分でいたいじゃない。 最たるものなんて、誰に推し量ることも出来ないのだけれど。

 

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 大切にしている友達が二人いて、その二人が付き合うことになって、心の中は喜びでいっぱいに満たされているはずなのに、酒を煽ると美辞麗句が沈み込んでしまう。

 経緯を知らされていなかったこととか、じゃあアレは二人の逢瀬のため? じゃあコレは二人の絆のため? なんて、過去の様々を全部利用されてたような感覚に陥って、大切さが醜悪さへと遂げようとして、なんだってんだ、醜悪なのは僕の心じゃねえかって、都度、都度。

 

 クソガキだなあ、と思う。 変移出来ずにいる秒単位の過去に恥じ入りながら、でもこれって前に進めんのか? 心底祝福出来る清い自分なんて生まれ得るのか? なんて自問自答を繰り返しながら、それでもきっと『今は違う』って、『今は成長したけどね』って、願う事だけは止めないようにしたいと、そう、思うのです。

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