中学生までは、ただ注目を浴びることが気持ちよかった。
いじめと誤解されるほど苛烈な弄りでも、みんなが僕を見てくれている事実そのものが気持ちよかった。 大概のことは我慢できたし、そうしてるうちに人は自然と集まってきた。 石を投げてもへらへらしてる変わり者に、なんとなく興味を示してくれたのかもしれない。
高校生になってからは、正当な評価を求めるようになった。
正当とは言っても、要は良い評価ってモンを求めてた。 それが自分の身の丈に合っていなくても、よく見られたい、よく見られたい、ってずっと思ってた。 珍生物みたいな扱いで注目を浴びても嬉しくなかったし、それまで持っていた我慢強さはどこかに消えていて、人が集まることも無くなってた。
高校を卒業すると、評価を得る為の地盤が欲しいって思うようになった。
身の丈に合わないなら、身の丈を伸ばしてやろうと思った。 自分って奴を表に出して、そぐわない評価には徹底的に抗ったけど、今の自分のパラメータなら仕方ない、って妥協する面も出てきた。 声を挙げる人に反抗しても仕方ない、足りてないのは自分の位置、進むべきは自分の道、って何度も言い聞かせては憤ってた。
社会に出てからは、調整と調和の繰り返し。
周りが求める自分と、自分が思う自分のギャップをひたすら埋め続けて、可能な限り最良な評価を得ることを良しとした。 自分のことは、自分だけがわかってあげていればいい。 周りにそんな誇りを求める必要はない。 妥協という名の最良解を出すことが、自分のスペックに繋がっているようにも思えていた。
道は変わる。 想いは変わる。 かつて目指していたものも、拒んでいたものも、ルート次第では理想に、悪夢に、すり替わる。 良しとしなくてはならない。 善しとしなくてはならない。 今いる場所が、僕にとっての現実なのだから。
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音響目指して上京しフリーター生活幾星霜だった僕が、普通の企業の正社員になり、ガキの夢だと見切りを付けて高校以来カラオケでその鬱憤を吐き出してただけの僕が、カヴァーバンドをやる事になりました。 どっちも思い描いてた世界とはまるで別のベクトルで、正直戸惑いもあるけれど、これはこれで悪くないかな、という楽観視。
結局、夢とか目標とか叶えてナンボだけど、叶えられないからって人生オワタではないんだよなあ。 かといって悔やむことを忘れてはいけないけど、バランスとってかないと潰れちゃうよね。 理想と現実の乖離、その埋め合わせ。 今は非常にバランスがいいと感じる。 ブログの更新ペースにそれが滲んでるよね。
このまま一般人と呼ばれる方向へ軌道を変えて、面白味のない、チャレンジのない人生を謳歌するのだろうと想うと、少しだけ淋しい気もするけれど、それが生きるってことなんだ。 女難とかネタの神様とか正直いらない。 僕が求めているたった一つ、それは平穏。 あぁ、その扉が、すぐ目の前で手を拱いている―――(今までの流れだと完全にフラグでした)
