友達との仲の良さの指針ってなんだろう。 無条件で信用出来るとか、どんな状況でも信じてもらえるとか、必ず裏切らないとか、裏切っても許してくれるとか、何でも話してくれるとか、何も話さなくても分かってもらえるとか、・・・そういう都合のいいパラメーターを指針にしてはいないだろうか。
結論から言えば、上記条件をすべてクリアする人間がいるとすれば、それは親友などではなく、釈迦か仏陀といった神仏の類だ。 絆がどーとか時間がどーとか関係ない。 そんな都合のいい人間がいるわけないし、そんな都合のいい人間が
とはいえ、友達の指針なんて人それぞれだ。 上述した都合の好さ、利用価値の多大さを重要視する人だっているだろうし、自分に対する態度だけで決める人だっているだろう。 好きな人はみーんな親友!って人だっている。 僕の持論とは程遠い発想だけど、否定することは誰にもできない。 友達の定義なんて、価値観なんて、人それぞれで然るべきなのだから。
僕は嘘をつくし、裏切ったりもするし、都合悪いことは隠すし、隠されたのがわかれば怒りもする。 君にだけはそう在らない、なんて断ずる自信はないし、相手だってそう在るべきだと思う。 勿論そう在らない人もいるが、少なくとも自分はそういう人間だと自覚している。 相手が違うから僕も合わせる!なんて息が詰まって仕方が無い。 高みを求めるのではなく、下劣を許容出来てこそ。 僕が捧げるものも、求めるのも、友情と名が付けばそういった感情に相成る。
だから下劣を発揮してもいいって話では、断じてない。 信用したいから疑うし、裏切りたくないから迂闊な約束を拒むし、嫌われたくないから好かれる努力をして、何でも話し合いたいから話しやすい空気を作る。 嘘なんてつきたくないけど、つかなきゃいけない時は全力で隠し通すし、万が一バレたら誠心誠意で謝り通す。 下劣を以て、下劣を制す。 相手の下劣はともかく、自らの下劣とはそう対峙していきたいものだ。
・・・って思ってたって逃げ出したくなる時はあるし、じゃあ対峙出来ないことが断罪されるべき悪かと言えば、そうじゃないと思う。 また今度頑張れたら良い。 下劣を制せない下劣もまた己で、反省と失敗と成功を重ねて大きくなっていけたら良い。 対人間においては、結果よりも経緯。 姿勢こそが友情を感じるに値する項目だと考える。
結果だけを望み、提出されるものをただ一方的に受け入れて、自らは微動だにせず胡坐をかいて。 結果、何処かで齟齬が生まれ、友情が破損してたとしても、文句を言える筋合いではないだろう。 仕事だって愛情だって、惰性で維持出来るものなんて何一つない。 例外なんてない。
僕はこういう人間だから許される、私はこういう人間だから大丈夫、そんな主体的な免罪符なんて存在しない。 お前が許されるのではなく、相手が許してくれているだけだ。 だったら、どこかで不和だって生じる。 相手の我慢不足から? 否、自分自身の不義に、相手の広すぎる器が遂にもたなくなっただけのこと。 許し合い、求め合い、御し合うこと。 その繰り返しこそが友情なんだよ。 少なくとも、僕はそう考えて止まない。 そう、願って止まない。
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自分がこうだから相手もこうすべき、なんて押し付けの横行に激おこプンプン丸してる中で、価値観は自由だろ!って価値観を押し付ける我が身の矛盾。 それが普通、当たり前が当然、なんて盾を構えずに、素直に言ってしまえばいいんだよ。 “自分が気にくわないだけ”って本音をブチ蒔ければいいんだよ。
変にカッコつけるから理論は破綻する。 完璧な人間なんていない。 パッチリ二重でスレンダーな君が好き、じゃなく、ギョロ目で貧乳
