基準は君が決めている

 一本芯の通った人生を、なんて麗しき幻想が良しとされる今日この頃、皆様いかがお過ごしですか。 自分の言に責任を持ち、信念に一切の矛盾を生じない生き方なんて、世界中の法を遵守し続けるより余程大変なこと。 些細なほころびなんて、揚げ足取っていたらキリがないくらい。

 “嘘はつくな”、“約束は守れ”なんて当たり前に聞こえる決め事すら、実際の難度は果てしなく高い。 当たり前の理想とは、言うなれば突き詰めた極論なんだ。 こなせないからこそ、理想としての価値を得る。 願いと本質は似ているのかもしれないね。

 大体、嘘も方便なんて言葉があるように、潤滑油としての偽り・社交辞令としてのお世辞を考慮すれば、むしろ突き通すことこそ愚直と言えよう。 ケースバイケースに合わせて時には約束を反故にすることだって必要だ。 永遠の愛なんて、移ろう感情を完全に制御できるほど、君は精巧な生き物なのか?

 

 閑話休題。

 

 とはいえ、突き通すことに美徳を覚える人も、突き通せないことに醜悪を感じる人も、世の大多数だ。 理屈をこねて逃げ回るより、拙い枠組みに身を投じた方が賢いだろう。

 では、どこまでやれば“突き通した”ことになるだろう。 先述したように、嘘や約束に敏感な人は多数いるも、例外は無限大だ。 どこまでやれば“突き通した”セーフラインと取れるだろう。 どこまでを“突き通した”と見るべきだろう。

 僕は、その人が他者に対して敷いているルールに合わせるべきだと思っている。

 大なり小なり嘘は嘘、どんな些細な約束でも破った奴は許されざるカスだ!とか言ってるような奴が、待ち合わせに1分遅れたり、永遠の愛を誓った異性がいるにも関わらず、街で見かけた異性に一瞬でも心を奪われたことがあるなら、そいつは紛れもないカス野郎ということ。

 逆に、待ち合わせはいつも遅刻され、愛する女性には裏切られ、騙され、踊らされ、陥れられ、常に泥水をぶっかけられるような人生を送ってる奴が、嘘も方便、約束なんてのはケースバイケース、って楽観視を貫けるのなら、その人の些細なブレは全く気にならなくなる。

 自分のルールを押し付ける奴は、自分のルールに押し潰されるべきだ。 自分が遂行出来ないルールに、何の重みも生じない。 一本筋の通った信念なんかより、どんなに緩やかでも、自分が決めたルールを守れればそれでいい。 当然限度はあるだろうけど、指標は常に君が示すもの。 自然だろ?

 

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 隙を見せない人と対するだけで、自分たちへのハードルも上げられている気がする。 嘘ばっか約束反故ばっかも嫌だけど、それなりに緩い人の方がラクに生きれる気がする。

 あんまり硬くなるなよ。 人間なんだから、例外もあるだろうよ。 見るべきはルールじゃなく、その奥の奥、人柄そのもの、更に奥、おっ、ヴァッ、ヴァーギナッ! 奥のおっ、おヴァギーナッ! やっぱ大事なのはヴァギナでしょーっ! 硬くならざるを得ないーっ!(ラクに生き過ぎている人の悪例)

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