そうだん
【相談】
《名・ス他》どうすればよいかなどについて、意見を述べ合ったり、意見を述べてもらったりして考えること。 「担当医に―する」
ぐち
【愚痴】
(今となっては)言ってもしかたがない事を、言っては嘆くこと。 「―をこぼす」
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昔からプライベートにおける相談をしない子でした。 一般的に言われているように、相談する時ってのは大抵自分の中で答えが出ていて、最後のひと押しをしてほしいだけ。 言葉を変えると、最終決定の前に責任の分散を図りたいだけ。 「あいつもこう言ってたから」って、自分の人生の責務を他人に一部譲渡する。 株式会社気取りか、って思っちゃう。
とは言え、相談して考えがまとまるケースもあるっちゃある。 それは相手の助言で、というより、考えていることを言語化しているうちに、問題が整理整頓されるからだ。 脳内のリソースなんてたかが知れてる。 鞄の中身を鞄に入れたまま探るより、テーブルに広げた方がわかりやすいだろ?ってこと。
じゃあ愚痴はって、ただの不平不満を他人と共有しようとか相談以上にタチが悪い。 喋ってスッキリするのは否定しないけど、喋られた側の立場にもなってみろ。 心も暗くなりがちだし、メリットなんざ皆無だぜ。
「愚痴ってくれてありがとう」なんて言う奴もいるけど、それは愚痴の中身に対してじゃなく、『愚痴なんて非生産的且つ自己評価を下げるだけの糞行為を自分に実施してくれるということは、それなりに心を開いてくれてるってことだね』という、行為そのものが自己評価に繋がっていることへの感謝。 あるいは、秘密の共有や、相手の精神面をリカバリーしてあげたことに対する優越だ。
ならデメリット一辺倒の愚痴を奉納するより、もっと効果的な方法が山程あるはずだ。 目的と手段を履き違えちゃいけないね。
という具合に考えていくと、相談や愚痴によって得られるメリットは、すべてblogで解消できると言える。 Twitterでもいいが、極力SNS要素の薄い世界がいいな。 友達の目に触れるところで発するなら、それは独り言とは言い難く、時代に沿った相談の仕方であり、愚痴の方法でしかない。
僕の中での基準は、周りの目にどう触れるか、である。 LINEやメールは確実に返事を求めており、FacebookとTwitterはタイムラインに出るが、ツールを活用してない人の目には映らない。 でもFacebookは繋がり、Twitterはつぶやき(表現)を重視してると感じているから、Facebookで吐くことは愚痴や相談と同義だと感じる。 ガチの独り言は記録に残らないし、記録に残すのは気持ち悪いし、だったら日記でいいかなって思っちゃう。 オフライン日記は書いたことあるけど面倒くさいしモチベ上がらない。
思うに、相談や愚痴によるスッキリ感を得るには、誰かに聞いてもらってる感が必要なのだろう。 面と向かって話をする相談・愚痴は、そのヘビーさから誰でもいいというわけにはならないが、スッキリ感を得るだけなら誰でもいいということになる。 誰かに発信出来て、文章と言う名の形に残るblogはベストツールと言える。 つぶやきレベルの些細な愚痴を発するために、次点でTwitterが優秀。
要はこの2つだけあればいい。 僕から内面の発信は、この2つだけあれば事足りる。 あとは酒に飲まれた時、周りに子汚い何かをブチ撒けてしまうかもしれないけど、それは酒の席という構造上、必要不可欠なコミュニケーションテーマだと思っているし問題ない。 これまでも、これからも、僕のゲロ吐き場は、WEB、オンリーワン――――
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ってクソガキの頃から実践しすぎたせいで、突発的な激情や外出先での絶望を吐露する手段を持ち合わせていない瀬駆ですこんにちは。 吐露する相手がいない、Twitterでは収まらない、じゃあ家に帰るまで我慢しようって鬱屈しながら帰宅して、帰ったら何書くか忘れて、忘れるようなことなら大したことないな、なんて思いながら眠るけど、負の感情は処理出来てないから蓄積して、心に闇を作る。 最後は厨二。 最期は厨二! 怖い! 恐ろしき闇!(あと僕の脳みそ)
こんだけ理屈が通ってるのにblog・Twitterが吐露のベストアンサーにならないあたり、やはり相談・愚痴の根っこは自己承認欲求なのだろうなあ。 聞いてほしい、支えてほしい、理解してほしい! だからこそ、僕は人様に吐露なんてしないのだ。 真理を抱えて悪を為すなんて、ゴミみたいな確信犯だからなあ。 つうかもう相談の仕方わからんし。 何でも言っていいよっつったって、お前の膣口とマウストゥーマウスで人工呼吸したい、されたァい!なんつったら引くだろうが!(そりゃそうだ)
