派閥的な考え方

 自分の好きな人が、自分の嫌いな人たちと仲良くしている。 周りなんて関係ない、好きなのは個人だから!と青春ドラマよろしく声を張り上げられる人に、僕はなれるだろうか。

 否、なれないことは明白である。 自分の好きな人が、自分の嫌いな人に賞賛や賛辞を送る姿を見て、心ざわつかぬワケがない。 自分が否定したものを、大切なものに肯定されるってのは酷だ。 信仰している神の肖像を、親友が満面の笑みで踏み絵しているような状況を、連れ添い続ける限り、永遠に味わい続けなければならないということ。

 そうなれば、僕は大切な人を切らざるを得ないだろう。 その人個人に何ら異常がなくとも、属しているその流派に大して絶縁状を叩きつけざるを得ない。 僕と仲良くしたかったら、その空間から剥いでておいで、なんて取捨選択を選ぶことも自らの心が許さないし、なればこそ、無言のうちに斬殺。 斬られて傷つく相手より、維持することで痛む己の心が可愛いのさ。 きっと誰だってそう。

 

 散々過去の友達団体から切られただの何だのと鬱屈したかまってちゃん日記を連発してきましたが、最近ではそんな羨望など欠片もない。 頼まれても戻りたくないというのが本音で、そういう意味では魔女のイベントは僕にとって僥倖だったのかもしれないな。 未だにぬるま湯で夢を見続けていたら、僕の心身は腐敗で満たされ崩壊していたことだろう。 そう想わされる幾つもの案件が、僕の決意を揺るがぬものに変えていく。

 そもそも、昔から対人運だけは絶頂だったのに、意味の無い離別なんて僕らしくもない。 意味ある事件だったのだと、僕の過去が物語っていたのに、なんで気付かず未練を垂れ流していたのか。 対異性運が絶望的だったからか。 納得していたのか僕は。 んもーっ、自己分析能力低いに僕ちん! おこだお!(`へ´)ノ

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