股を開くということ

 セックスってなんだろう。 心と心を通わす儀式? 子どもを作る為の行為? 実態は、勃起したペニスをヴァギナの中に埋没させ、ピストン運動を行うという一連の所作だ。 スポーツと置き換えたっていい。

 愛だの何だのと咆えてみたって、僕たち男子は面識のないAV女優の痴態で勃起する。 体質にも依存するだろうが、男女ともにオナニーという概念が存在する以上、愛する異性の愛撫でのみ快楽を得られるって訳でも無さそうだ。

 勃起したペニスがあって、愛する異性以外でも快楽を得られるのであれば、愛だの子供だのって結論は度外視出来る。 快楽だけの為のセックスが行えてしまう。 可能性が提示された時点で、全ての高貴な理由はご破算となる。
 
 嫌いな奴とでもセックスは出来るし、人間性スルーでテクニックのみを願うビッチだっている。 よく、セックスしないと分かり合えない、とか、セックスすることで深い関係になれる、なんてのさばる奴がいるが、上述の通り、こんな言葉はまやかしだ。 当然そうじゃない人もいるが、そういう人もいるんだ。 価値観は千差万別で然りなんだよ。

 

 セックス経験の有無より、些細な日常生活の相談を持ちかけられた方が、余程心が繋がっているように感じる。 悩みや障害を告げるということは、自分の弱点を晒すということ。 そうさせる為の人間的、あるいは能力的信頼が不可欠だろう。 股を広げたり、怒張したペニスを晒すのとは、度合いが違う。

 むしろ性交を行う事によって、心の壁は高く高く積み上がってしまうのではないだろうか。 テクニックの応酬とか感じたフリとか、謀略渦巻く最前線こそが性行為でしょう。 あんな紛争地帯でお互いの気持ちを100%晒せるワケないと思うんだ。

 「うっひょーフェラチオ気持ちいいー!歯が4回あたったけどそれはそれとして気持ちいいー!」「きゃはー指マン気持ちいいー!Gスポットから3mmズレたところをゴシゴシやられてむず痒い事この上ないけどそれはそれとして気持ちいいー!」なんてガチ本音やってたらギクシャクセックスになっちゃうもの。

 ギクシャクしない為→相手を気分よくさせる為→次につなげる為なんて下心も滲み出るし、損得観念のある真の友情なんてしゃらくせえったらない。 

 そりゃ裸と裸のぶつかり合いで、普段は絶対に見られない真実の表情とやらが垣間見れるのかもしれないけど、『真実の表情』なんてセックス限定の極秘コンテンツじゃないからね。 あの子は嘘をつくとき眉を寄せる、笑う時ハグキが出る、セックスの時白目を剥く、てな具合。 そんな汎用性の高い素顔開示に、心の解放なんて大きすぎる付加要素を求めるなんざ傲慢。

 

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 というわけで、僕はセフレというものに懐疑的な訳です。 セックスするフレンドなんて、そんなのフレンドじゃねえよと。 大体、そんな爛れた関係を良しとする奴がセックスを崇高に想うはずがないし、呼吸よろしくジュポジュポやってるもんに価値なんて感じねえだろうと。 思っちゃうわけです。

 逆に言えば、セックスなんてその程度の行為なんですよ。 愛する人とするのが一番ですが、根っこはその程度。 粘膜と粘膜の擦り合い。 ただのよがり合い。 テクニックがあれば、気持ちが消えた後もおいしい料理店みたいな感覚で記憶に残るかもしれないけど、気持ち良くなければ欠片すら残らない。 セックスはサバイバルですよ。

 

 いっそAV見ながら勃起した男子に対し、BL雑誌見ながら欲情した女子がドッキングすれば、思考はかみ合わないままでもオナニー道具としてお互いを利用出来てGOODなんじゃね? だってそっちの方が気持ちえーやん! キレイゴト言ったって、チンコにはマンコ、マンコにはチンコがベストパートナーやーん! なー? やろうやー? 気持ちスッカスカのまま、僕と別次元セックスやりまひょーや(^v^)ノ

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