いくら若かりし頃と言ったって、過去の自分を積極的に否定したいヤツなんていないだろう。 若いなりに思い悩み、若いなりに歯噛みして捻り出した答えを「あの頃は若かったから」なんて薄っぺらい言葉にちゃぶ台返しされたい訳がない。 結果その通りだとしても、抵抗したいじゃないの。 まだまだ若いんだからさ。
とは言え、最良と思って出した答えが最上ではなく、最悪と思えど出さざるを得なかった答えが最下ではない、ってのは日常茶飯だ。 だから僕らは努力するんでしょう、結果を少しでも理想に近づける為に。 失敗は成功の母。 次は一歩遠く、その次は更なる一歩ってな具合に、日々邁進してくのがあるべき姿。
でも、真逆の結果は寛容出来ないよな。 最上が最悪、最下が最良なんて、反省の一言で済む絶望じゃねえんだ。 裏目った、反転した、じゃあオモテ面はどうなってる? 促されるのは成長じゃなく、何もかもを押し潰す圧壊だよ。 ぺしゃんこの我が身からどんな未来を想像しろって言うんだい。
だから僕は、過去の決断を覆すような行動は取らない。 現実の自分を折り曲げてでも、過去の決断が活きる道を選ぶ。 踊り笑われるのは、現在だけでいい。 あの時の笑顔を、泣き顔を、道化になんかさせないんだ。
結果オーライ? 寝言は寝て言え。 誰も幸せになれない結末でも、僕一人の我慢で全て丸く収まる台本だったとしても、一度選んだバッドエンドなら突き進むのみ。 誰の目から見ても漆黒に染まり映るような幕引きを、墓に埋まるその瞬間まで僕は願い続ける。 拘り続ける。 それが決断する、ってこと。 それが選択する、ってこと。 惰性で楽な方になんか、流れてやんねえかんな。
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先日、職場のリーダーの結婚が決まったという事で、仲良し同僚ズとささやかな祝賀会を開きました。 馴染みの中華飯店で酒を喰らっていたんですが、せっかくのお祝いだし、普段絶対食わないような高級食材をリーダーの門出に捧げようって流れに。 一生に一度あるかないかの大イベント、ならば心からの餞を。 僕らの財布事情を突き破って、この想い、リーダーに届け!

そんな想いを込めて注文したフカヒレが
人生初フカヒレが
その日食べた料理の中で最も不味かったなんて事実を
僕は認めたりしない
絶対に認めたりはしない
やっぱりフカヒレは違うね!このつるっとした感がね!うん・・・ね!と、お互いの顔を見合わせながら口々に薄っぺらい感想を吐く面々を見て、今、僕たちは共通の想いを抱いてるんだって言う繋がりのような連帯感のような連帯責任のよ泣いたりはしない。(スカスカになった財布を見つめながら)
