偏執と偏狭の偏重

 イケメンや美女は住む世界が違うので、成長の仕方も当然違う。 成長が異なれば成体が異なり、最終的には別の人類と言う事になる。 つまり、容姿の良い恵まれた人間は、同じ星の人間ではないのだ。 異民族とか異国人とか、そんな小さなスケールでは計れないだろう。

 そんな異星人を遠目で見ているならまだしも、身近で愛でたいとは思わないし、大手を開いて受け入れようとは思えない。 生態が異なるのだから、意思の疎通が満足に出来るはずがない。 同じ物を見て笑ったり、同じ事をして悲しんだり、そんな同調は一切臨めないのだ。 ボディーランゲージがカバー出来る領域を超過している。

 コミュニケーションが取れない人は、怖い。 何とも言いようのない、未知の怖さを秘めている。 理解不能に焦がれるのは、前人未踏を恐れない蛮勇に似ている。

 そして僕が想う“顔がいい人”に、僕が想う“中身が整った人間”はいない。 一人もいない。 だから、やはり怖いんだ。 これは嫉妬でも、優れた者への憧れでもない。 緑色に淡く光った宇宙人に対し、全身毛むくじゃらの猿が抱いた、種としての恐怖。 永遠に交わることのない、軌跡の鋭利さに対する恐怖なんだろう。

 そんな人たちとは、やはり相容れることは出来ない。 友情? 愛情? 人語を解すかどうかを調べてる次元で、そんな踏み入れた関係なんて絵空事だろう。 肉体同士のぶつかり合いの最たるものである、性行為なんて以ての外だ。 その優れた容姿で恋愛対象を選別可能な境遇、チャラ男や外見至上主義者の超絶テクニックを味わって来た経験、自分は他より優れている=優れた待遇を受けるべきだと言う無意識下の妄想を併せ持った異性のそれと真っ向から交わるなんて、正気の沙汰ではない。

 ただまあ、顔はいいのだから、ただの穴として使うならいいだろう。 心がどうとか、気持ちがどうとかすっ飛ばして、体感型AVを体験していると思えば宜しい。 容姿の良い同性を近くに置くのも悪くはない。 その容姿で脳みそ空っぽのノータリン異性が釣れるからだ。 釣れた異性を見て目の肥やしにし、クンカして鼻の詰まりを良くし、汗を煎じて飲んでDNAの違いに驚愕する。 珍獣というか、サーカスや動物園の感覚なんだよな。 どんなものにも需要と供給は発生するのだから、活用しない手はない。

 

 どんなものにも例外は存在する。 顔が良くても同じ世界に生きる人間はいるかもしれない。 とはいえ、そんなものはあくまでも例外。 例外ってのは希少だから例外なのであって、そこら中にいるようなもんではない。

 そして僕が想う“顔がいい人”に、僕が想う“中身が整った人間”はいない。 一人もいない。 だから、絵空事に希望を託すより、蓄積された常識による偏執を重んじるんだ。 美女は気にくわない、イケメンは氏ね。 これはルックスに対するコンプレックスではなく、別種へ抱いて然るべき警戒だ。

 そんなものの本質に気付けず、気付かず、あるいは甘んじているような人間も、僕からすればあっち側。 知りもしないで、としたり顔で、一方では僕たち不細工を蔑視している現実に目もくれず、意気揚々とミュータントしている人間だった人たち。 寄らないでくれ、異形化が感染る。

 

 そんな奇形種どもがはしゃぎ回る為のイベント、クリスマス。 リア充の温床を、僕は決して愛さない。

 唯一神よ、貴方の言う通り。 幸せになる為のチケットを生まれ持ってきた連中や、その仲間入りを果たした人間の幸せを大いなるものにする為に、必要負として虐げられた躯に塗れて、僕は今日も歌い続ける。 恨み辛みの怨恨歌を。 魑魅魍魎の小夜曲を。

 要は、誰かを踏み台にすることでしか得られない幸せなんて生涯認めたくないって、ただそれだけのことなんですけどね。 踏み台にされ続けてきた男の逆恨み。 人間ぶってる僕側の生命体も、大概って事。

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