言の葉

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「―――じゃあ、君にとって〇〇さんは親友なんだ?」

「・・・いや、親友とは違うかな」

「そうすると、他よりも親しい友達、って感じ?」

「・・・そうだね、うん、そんな感じ」

 

しん‐ゆう〔‐イウ〕【親友】
互いに心を許し合っている友。特に親しい友。「無二の―」
(goo辞書より)

 

 結果として同じ事なのに、表現によるニュアンスを重んじる。 まあ、確かに親友って言葉には重い響きがあるけれど、それは辞書の例にもある『無二の親友』って意味を当てはめてしまうからなんだろうな。

 辞書の字面通りで言えば、心を許し合えるなら親友は何人いてもかまわない。 でも、“1人か2人の特別な誰かに与えられる称号”ってイメージは確かにあって、僕達は相手の言い回しや性格などの情報を元に、その意味合いを推し量らなければならない。 軽率に言うようなら前者で、言い淀むようなら後者、と言った具合に。 それが正解なんて保証はないのにね。

 言葉ってのは、そもそも絶対じゃない。 辞書で調べた意味が正解だとして、十全の理解の元に言語を駆使してる人なんてのはごく少数だ。 そもそも「それ」「これ」「あれ」なんて指示語に代表されるように、曖昧さを良しとする言葉だって多数存在する。 誤解を恐れたって、誤解は避けられない。 そもそも正解がないのに、誤解とはこれ如何に。 だったら、想いを乗せて、本意を込めて、あとは成り行きに任せるが吉だ。

 大体、想いがそのまま伝わったとして、真意がそこにあるとは限らない。 「愛してる」を伝えたくて「愛してる」と発しても、僕が実際に「愛してる」かどうかはわからない。 言う側の曖昧さも、聞く側の推察能力の無さも、全てひっくるめてのコミュニケーション。 誤解を誤りとは言えず、正解を正しさと断ずる事も出来ない以上、神算鬼謀をもってしても、世界の理を解き明かす事なんて出来ないのだ。

 

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 だから僕は、言葉を複雑に弄する事に全力を尽くす。 真意も本意も見えないように、どちらの責も負えないように、難解で幼稚な言葉を放り続ける。 いざという時、シンプルな言葉が映えるように。 「愛してる」が「愛してる」として、君の元まで届くように。 その時、僕が君を「愛している」かどうかは、また別の話だけどね。

 だってそうだろう? 結局『言葉』なんて上っ面の域を出ないのさ。 中学3年生・処女です///って言ってた女と初体験セックスしたらクラミジアを感染(うつ)されるような世の中で、言葉の本意や真意なんてモンは、真実から最も遠い現象だ。 君が病気か病気じゃないかは、想いでは推し量れないんだよ。 『検査結果』と言う名の真実を、つべこべ言わずに持ってこい。 「愛してる」はそれからだ。