努力は必ず報われぬん

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 ダイエットが調子いい。 昔のダイエット時だと、うっかり深夜ラーメン食って2キロ近く太って戻るのに1週間ふぁああああとかウダウダやってたけど、今は夜に焼肉食っても翌日には通常値を示していたり、リバウンド的な目で見ても良い功績をあげている。

 これは、相当な事前調査を行ったからに他ならない。 ダイエットとは、リバウンドとは、正しい食事制限、有・無酸素運動の効果、それぞれの正しい方法、姿勢、心構えetc・・・。 やり過ぎと思う人もいるだろうけど、それもこれも失敗したくないからであって、にも関わらず漠然と道や手段を選んじゃう人の方が「脳天気過ぎ」だと僕は思う。

 

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 努力をするにしても、努力の方向を誤ってはいけない。 それは成果だけではなく、自分の心にも大きな影響を与えるからだ。

 過去にフラフープダイエットをしていた時、約2ヶ月半・1日1時間近くフラフープを回していたけど、腹筋の回数が増えただけで体型的には何の効果も出なかった。 フラフープは何かの+αとして用いるべきで、単体での効果を過信すべきでは無かったのだろう。

 にも関わらず僕は過信し、効果が出ない事実に憤慨し、フラフープ、そしてダイエットそのものに嫌気が差してしまった。 75時間をドブに捨てたようなガッカリ感。 とはいえ、たかだか75時間。 フラフープ自体も楽な運動だったので、ダメージもたかが知れていた。 おかげで怒り任せにフラフープを捨てることもなく、現在のダイエットにも引き継いで使われている。

 でも、これが1年間、1日2時間、モノも1.5kgの重量フラフープで、身体に青アザ作りながら勤しんでいたとしたらどうだろう? 730時間と全身に刻まれた傷跡を見て、それでも「努力そのものに意味がある」とか絵空事を吐けるのだろうか? 僕は吐けない。 フラフープをフリスビーよろしく川に投げ捨てるかもしれない。 あとで市の役員に怒られるかもしれない。 ヤブヘビかもしれない。

 

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 無駄なことなんて何一つ無い。 これは至言だし、事実だろう。

 だからって効率やベクトルの話から意識を刈り落とせない。 目的地に進む為には直進するべきであって、近道だって成功すればいいけれど、失敗して道に迷ったから途中で石拾いとかしちゃって「何かあった時にこれで自分を守れる!」なんて強がりを放っても、到着という一点から逆算したら、それは不必要でしたの一言に尽きちゃうんだよね。 まあ、迷った経験は活かせると思うけど。

 多角的に見るにしても、可能性を模索し過ぎれば脳のリソースなんて簡単にパンクしちゃう。 無限の可能性を無限に使いこなせる人間なんて存在しない。 意識の外に置かれたいつ来るかもわからないイベントに対する備え、伴う経験値。 それらを総じて僕らは【無駄】と呼称するんだ。

 故に、僕らは模索する。 間違いように、誤らないように、事前に地図を見て、何度も目的地を確認して、その手段に全力を講じる。 それでも調べきれない項目があり、経験で印を付けていったらとんでもない悪路を進むハメになったりする。 加えて、実際に歩いてみたら崖があったり、猛獣がいたり、まともに辿り着けた試しがない。

 第三者は「本当に調べたのか」「こんな道を歩くなんてクレイジーだな」なんてワケ知り顔で茶化すだろう。 苛立ったり無視したりして、それでも歩き続けたならまだ上等。 中には心を挫かれて引き戻したり、当初の計画をメチャクチャにして飛び出したり。 で、それすら間違いとは言い切れないところがミソ。 正解なんて誰にもわからないからね。

 辿り着いた先が目的地と違ったって、誰を責める事も出来やしない。 自分の中では「入念に準備した結果だから仕方ない、初めから決まってたことなんだ」なんて諦めの弁も立つかもしれない。 だがしかし、景観をご覧あれ。 【目的地に辿り着けなかった自分】以外の何が見える? どんな副産物を得ても、失敗した結末に何ら変わりは無い。

 あとは前半に記したのと同じ。 辿り着くまで何日、何ヶ月、何年の時間を要した? どれだけの徒労だった? 味わった辛酸は、失った代償は、相応のものだったか?

 白地図に線を引いてる時は、目的地に辿り着くこと、ただそれだけを願っていたはずなんだ。 そのワクワクは、そのドキドキは、道中の偶然に心を奪われ、霧散する程度のものだったのか?

 後悔の種はいくらでも降ってくる。 あとは僕側で、受け入れる土壌が整っているか、注ぐ水分が備わっているか。 入念な事前準備とは、ある種それらの草木を枯らせる農薬のようなものなのかもしれないね。

 

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 ダイエットが調子いい。 それでも過去の失敗は頭を過ぎる。 29年間望んでは諦め、望んでは諦めた結末が脳を掠める。 古傷は疼くし、挫けそうな時が無い訳じゃない。 成功の可能性が無限大なら、失敗の可能性だって無限大。 いつ如何なる時でも転落の危険性はある。

 そんな無限から有限の選択肢をたぐり寄せ、ちょっとずつ僕は進んでる。 片足を引き摺っているかもしれない、腕の感覚は無いかもしれない、実際は進んでいないかもしれない。 だからって動くことは止められないし、止められないと思えてる。

 

 ならば宜しい。

 更なる絶望が待っていようと、君はどこまでも這っていけ。

 

 目的地だって、雄弁に構えていてはくれないだろう。 場所を移動したり、見知らぬ誰かにフラッグを奪われたり、散々な展開を思ってりゃいい。

 歩けなくなり、動けなくなり、真の現実に押し潰されるその日まで。 僅かながらの光を信じて。 なんだってそうだ。 なんだってそうやって進むしかない。 前でも後ろでも斜めでも、進むしかないなら、突き進め。

 

 今は手を差し出してくれる人もいる。 唆すのが第三者なら、煽るのも第三者だ。 一人じゃ辿り着けない、その頂へ。 なにこれ、本当にダイエットの話? 清濁飲み込んで、魑魅魍魎の蠢く百鬼夜行を、いざ尋常に―――!(押し切ったー!なんとなく押し切ったー!)