長かった出張、部署異動、結婚式準備、そして

 約三ヶ月に渡って行われた、夜勤を伴う長期出張が終了しました。 北は北海道、南は九州まで幅広く飛び回らせて頂き、そして各所のキャバクラ巡りをする同僚と、そこに引き込まれる自分を客観視して、これが・・・サラリーマンッ! 行動がテンプレやんけッ! なんて痛感しております。

 そう、これがサラリーマンッ! 15年前の俺ッ! どんなに夢見てもお前の末路はサラリーマンだぞォーーーッ! 瀬駆です。(夢とか希望とか)

 

 帰ってきた途端に見事な部署替えを喰らい、てんやわんやとしております。 過去の知識や経験が使えたり使えなかったりで、例えるならば、SoftBankからauになったようなチグハグ感を味わっております。 世界から消えろ、ガラパゴス諸島。 共通化共有化で個性なんて吹き飛ばしちまえ!(SEの本音)

 

 結婚式の準備も着々と進んでおります。 プランナーさんと一発目の打ち合わせを終え、色々と宿題も出され、いよいよ盛り上がっていく感覚。 この追われる感は嫌いですが、ゴールが幸せの集大成ですから、うん、悪くない。

 私の結婚式ですが、余興や二次会といった“ゲストにお願いして盛り上げてもらう系”のものを、ほぼ全て廃止しております。 自分たちの幸せを晒す会で、一役買ってくれよ!なんてゲスト様に頼むのは何か違う気がしたのです。

 だから、良くありがちな友達たちからのお祝いムービーとか、みんなが練習してくれた感動の出し物とか、そういう思い出は作れません。 そういうのが欲しければ自分で声を掛けて頼み、作るしかない。 でも映像・画像得意なやつも、友達をまとめて巧く仕切ってくれるやつも、ゲストにはいないのだから仕様がない。 それは全部私がやっていたから。

 今はOP、生い立ちムービー、エンドロールの動画に加え、思えば16年くらい続けているブロガーとしての矜持として、ちょっとした文章系の出し物を全て一人で作っています。 嫁は機械に疎いですし、やりたくてやってる(お金の都合で)のだから私がやるしかない。 後悔などないし、辛さもない。 むしろゴールがしあわせの集大成ですから、うん、悪く・・・なァい!(ちょっと言わされた感)

 

 が、ここで少し見落としていた感。 これは私たちの結婚式であって、私の結婚式ではないのですよね。

 今までも一人で作業してるとやりすぎてしまう感がありました。 過去には友達のmixiアカウントを偽造して暴言連発したり、知人の実家に知人をコラージュし倒した苛めのような年賀状を送ったり、どうも一人で考えるとブレーキがぶっ壊れてしまうというか、面白いであろう想定を実現する好奇心の方が勝ってしまうんですね。

 これが、今回も見事に炸裂した形となります。 私の作品に対し「これを結婚式で出すのはどうなの・・・?」と懸念を示した嫁。 カッとなった私が「どうせ俺の笑いのツボは誰にも理解されない!もういい!全部消す!業者に頼めばいいんだろ!金なら俺が出す!」とイきり出し・・・、結果、嫁とはじめての喧嘩です。 同じ空間にいる男女が一言も声をかわさない。 辛い。 喧嘩って本当に無生産。

 そして彼女の懸念を怒り飛ばすほどに執着した該当部分が、冷静に見ると・・・ 下記は嫁に対する第一印象を記載した場面です。

 

 「君はオカルトを信じるかい? 幽霊、魔法、神仏…知覚出来ないあらゆるものが、いわゆるオカルトとされている。ラテン語のocculta(隠されたもの)が語源とされている通り、なるほど、確かに隠されていたのだろう。どこを探しても見つからなかったから、私はその存在、その感情を、オカルトと名付け、…これっぽっちも信じちゃいなかったのさ。でもどうだい? 過酷な現実や不条理をこれでもかってくらいに孕んだ、日本の縮図とでも云うべきこの街で、無神論者で現実主義だった私の脳裏を撃ち抜いたのは、さしずめ現世に顕現した愛と美の女神、アフロディテ。…そう、オカルトだよ。しかしその存在、その感情を、知覚してしまった次の瞬間、 ――オカルトは、恋と云う名の野暮な現象に置き換わっちまったのサ」

 

 具体的には「何が言いたいのかわからない」という指摘だったのですが、成程何が言いてぇんだコイツ。 如何に私の頭が茹で上がっていたか。 これを読んだゲストは何を思えばいいのか。 冷静になればなるほど、別の理由で謝りたくなくなる男心です。 だってこんなひどい文章の話を蒸し返したくないもの。

  

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 大人とは、塗り替えていく生き物。 誰もが過去のままじゃ生きられない。 ピュアも、一途も、何かしらに姿を塗り替えて、僕らは征く。

 それでも、元のベースが変わり果てるわけじゃない。 インクが染み着いて取れず、サビが出て、カビが生えて、多少の傷や変形があったとしても、全て脱ぎ去った時に顔を出すのは、ピュアで一途だった、あの頃の自分なのだ。

 

 だからこそ、油断してはならない。 大人になったフリをしても、クソみたいな本質が眠っていることを忘れてはならない。 それを互いに認識し合い、共有し合い、是正し合い。 パートナーとして、寄り添って生きていくと言うことは、つまりそういうことなんだろうと、ひとりぼっちの部屋で私は、思い、まし、た。 相手にとってもそうでありたいなあ!(心の叫び)

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