なんかタイムラインに好き勝手つぶやくことの是非が流れて来たので。
要は正否じゃないのよな。つぶやくことは自由だし、何言ったっていいと思う。ただ、Twitterみたいに公衆の面前でつぶやく以上、誤解された時とか、勘繰られて逆恨みされた時とか、そういう可能性は考慮すべき。— せく (@god_of_sexy) September 17, 2014
長くなりそうだからBlog書くか・・・
— せく (@god_of_sexy) September 17, 2014
というワケで続き。 確実に長いんでご注意をば。
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例えば僕が「貧乳なのに揉ませてもらえなかった。ただでさえ貧しいのにサービス精神すら失ってんなら、お前の乳の行く末は必然だったと思うわ」なんてことをTwitterでつぶやくとする。
勘繰る人なら、Twitter上での発言=フォロワーの誰かにその対象がいる、なんて想像するかもしれない。 そのフォロワーに貧乳がアイデンティティーみたいな人がいて、僕との絡みもそれなりにあったとしたら、「ああこの子か」なんて想像が働いてもおかしくない。 結果、僕が特定の女子におっぱいを揉ませてもらうよう所望して断られた、という情景が形作られることになる。
あるいは、実際は貧乳ではないけど、過去に僕からおっぱいを所望された女子がフォロワーに紛れていたとして。 自分のサイズでも彼にとっては貧乳なのか、と勘繰れば、やはり自分への怒りつぶやきか、って情景が形作られる。 いとも容易く、2パターンの意味がご生誕でござる。
待てよ、おっぱい云々は詭弁で、これは何かのメタファーではないか? 何かを要望して断られたことを、茶化しながら愚痴ってんじゃねえか? いやいや、これは逆説的な話で、実際は巨乳ちゃんにおっぱい揉ませてもらったって話なんだろ。 で、貧乳は揉ませないから貧乳なんだよ、さすが巨乳サイコー!ってそういう遠回しな・・・とはいえ、だがしかし、それってつまり・・・3、4、5・・・意味は続々、推測は無限に積み重なっていく。
結局のところ、本来の意図は
「(電車で貧乳の女の子がいたから『おっぱい揉ませてくれ~』って念を飛ばしたんだけど揉ませてくれる気配はなかった。ふっざけんなしふざけんなし!目線すら飛ばしてないけど無条件で揉ませるくらいのサービス精神出せや!まっじムカつくまじムカつく!)」
という電波意図だったとして。 そんなんわかるわけねーよ!って、その言葉が大正解。 こんな複雑怪奇な本心より、上記の例文の方が余程勘繰りやすいし、分かり易いだろう。 人は簡単な方に流れていく生き物。 故に誤解もやむなし。
じゃあ、可能な限り意訳した長文章を晒したとして、誤解は完全に払拭出来るだろうか。 「そんなふざけた文章をわざわざネットにあげる意味が無いから、やはり何かのメタファーでは?そもそも、貧乳?お前世界中の貧乳を敵にしてやがるなあ!」なんて、人は自分のロジックに事実を沿わせたがる生き物。 誤解は幾らでも這い出てくるし、論点ズレも無限に起こり得る。
そもそも、僕にとってはただのつぶやきで、誰かに想いを伝えようという意思はなかったりする。 頭の中の事実に対して、抽象的なツッコミをTwitterに反映させているだけにすぎなかったりする。 論戦になるような話題では、そもそもないのである。 文章見れば一目瞭然だけど。
誤解が生まれないよう、齟齬が発生しないよう、細心に細心を重ねなければ言語を発せないなんて、そんな窮屈な世界ならTwitterなど止めた方がいい。
それでも僕がTwitterを続けているのは、生まれ得る誤解に責任を持ってでも発したい何かがあるからだ。 最低限この誤解だけはして欲しくない、って方向にだけ予防線を張って、それ以外のありえない曲解で誰かがブチギレたとしたら、それは仕方ない。 そこは責任もってでも、発したい何かがある。 それだけ。
どんな発言であれ、公開する以上その言葉は自分の手を離れる。 推測の余地があれば推測されるし、誤解の余地があれば誤解される。 説明に説明を重ねれば読みにくくなるし、補足尽くしは言い訳がましいと邪推されるかもしれない。 言葉ってのはそういうもの。 どう足掻いたって、こればっかりは変わらぬ真理。
誰かに物を言いたい時は、ちゃんとリプライするか、当人の名前を含めて発言する。 それ以外の明らかに含みを持たせた発言に関しては、少なくともモデルとなる人物が存在することに否定はないけど、誰かに対する直接的なメッセージでは有り得ないから容赦してよって思う。 あくまで感想だったり、念仏だったり、つぶやきだったり。 邪推する人はご勝手にの精神。
かといって邪推する人が悪いとは思わない。 邪推する余地がある文章を作っている自分に非があるのもわかる。 そこの責任を放棄してはいけない。
だから、常に誤解される可能性を考慮しなくちゃいけないんだ。 誤解されるのが嫌なら、言葉選びやら発するタイミングやらを考えなくてはいけないのに、それでも誤解された時は自分の努力が足りなかったってこと。 受け入れて反省して、んでもって前に進む。 生まれ得る誤解に責任を持つというのは、つまりそういうことなんだって思う。
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思った以上に長くなってしまって、相変わらず僕は文章力に乏しいなあ、なんて思う。 こんなことだから、昔から誤解は絶えなかったし、トラブルを招いたことだって多々ある。 当然自分が悪いので、是正すべき点は是正すべきなんだろう。
しかし、誤解を完全に潰して発言することは上述の通り無理なのだし、限りなくゼロにする行為には心意気以上に文章スキルが必要だ。 だったら事故らないように無口を貫くか、生まれ得る誤解に責任を持つか。 選ぶべきは後者。
仮に発言が炎上を招いて心を病んだとしたら、恨むべきは相手ではない。 炎上を想定出来なかった想像力か、想定しながらも病むに到った耐久力の低さだ。 そのどちらも許容出来ないのなら、やはりTwitterやSNSは続けるべきでは無いのだろう。 僕は続ける。 思う存分を放つ悦びの為に、今日の更新を見て「ちょっ、別に揉ませるし!あたしのでよかったらいくらでも揉ませるし!」「誰が貧乳だって!?あんた生で見たことないのに想像で言うな!見てごらんよ、このバストを!ほら、ほォら!なんならちょっとくらいつまんでも・・・ンッ」な女子が現れる可能性を掴む為に。 僕は・・・続ける。 可能性を・・・貧乳を・・・掴むッ!(要約:今日の更新で言いたいことは最後の一文に集約されています)
