客観視で言うところの客って誰なの客って言うくらいだから利用料払えよホラ持ってんだろジャンプしてみろよJumpin’ Jumpin’ Jumpin’ now
みんなやってるから、みんな避けてるから、みんな好きだって言ってるから、みんな嫌いだって言ってるから、だから、だから、だから、そうする。 これだと言葉が足りない、思慮が足りない、動機が足りない。
みんなやってるから、恐らくそれをやっていれば周囲の感覚に馴染んだり、共通の話題を得ることができる。 仮に集団競技であれば、一緒にする相手に困る事がない。 だから、やる。 だったら、やらない。 見据えているのは、大人数を伴う事のリスクマネージメントであり、協調性や流行りモノ文化のそれではない。
みんな避けてるから、恐らくそれなりの危険が伴う。 あるいは、利点を見出すことが出来なかったり、一見しただけではわからないようなところに価値が秘められているのだろう。 だから、避ける。 だったら、避けない。 見据えているのは、未踏の地を踏襲する為に必要な己がスキルであり、集団意識や思考停止のそれではない。
周りの評判と言うのは、いわば先人の知恵だ。 思考停止に陥った人間が追随していたとしても、辿るべき軌跡を築いた第一人者は必ずいる。 そこには支持されるべき指標があって、共感されるに値する理由がなくてはならない。
勿論、ハナっから虚飾にまみれた虚言流布の独り歩きだってあるだろう。 そんなものは、少しでも道筋を辿ればすぐに真偽が見えるはずだ。 相違点を分析し、自己傾向なんかを考えれば、評判のみで正否を下すことも、周囲の意見に一切耳を傾けないことも、等しく愚かな行為だって理解できるはず。
要はバランスなんだよな。 初めて行く街でなんとなく美味しい定食屋を探したい時、レビューサイトに丸頼りする事で失敗を減らすこともできるだろう。 自分の感覚を信じようにも持ち得る知識や経験がない以上、見知らぬ誰かの声を道しるべにすることは悪いことじゃない。
確かな知識があったとしても、裏付ける経験を得るためにレビューを参照して、数店舗のアタリをつけることは実に現実的だ。 そこまでは「みんな美味いって言うから」で構わない。 味の感想で「みんなが美味いって言うから」を使いだすからおかしな話になる。
いや、さすがに食った後は自分で判断できるだろ、って人は、これをまるまる人間に置き換えてみるといい。 好きでも嫌いでもなかった友達なのに、周りの評判を聞いて見る目を変えてしまうことはないだろうか。 好評やら悪評やら、身も蓋もない情報を真に受けて、なんとなく自分もそう思ってた、みたいな空気を持ってしまうことはないだろうか。
みんな好きだって言ってるから、僕も好きにならないと感覚がおかしいってことになってしまう。 だから好く。
みんな嫌いだって言ってるから、僕も嫌いにならないと感覚がおかしいってことになってしまう。 だから嫌う。
周りの評判というのは、いわば主観の集合体だ。 美味い不味いも、得意不得意も、そいつの主観でしかない。
食べ物の味はどうか? 舌の肥え具合はあれど、酸っぱいものを辛いと断じる人は味覚障害と言う名の障害になるから、ある程度の共通認識として参考にすることができるだろう。 じゃあ、料理道具の方は? 手の大きさ、筋力、器用さ、調理スキルなど、ケースバイケースをある程度絞り込めば情報としての精度も上がるだろうか。
じゃあ、人間の好みは? キレイ系・可愛い系・肉食・草食・細見・ぽっちゃり・ロリショタ・年増好き、・・・枚挙に暇がない。 そんな多様性をぶっちぎった評判を聞いて、貴方はどうして惑えるの? 他人は他人、自分以外の誰かの主観なんて、どうやっても客観には変わらないんだぜ。
・
・
・
というわけで最近のマイブームは、ペヤング(約170円)にカット野菜(約100円)をぶちまけて、コンビニコロッケ(約60円)を最後に載せる、デ☆ラ☆ッ☆ク☆スッ!焼きそば弁当の瀬駆ですこんばんは。 ボリュームッ!栄養ッ!ローコストッ! この定食は、世界の全てを内包しているといっても過言ではない。
カット野菜の栄養分が取り立たされても、それを言うならカップサラダだってかわんねーだろ、っていう自負。 見た目が気持ち悪いと蔑まれたら、人に見えないところで食べるようにする自覚。 要はバランスなんだよな。 君の言う通り。
こうやって世間と上手に折り合いをつけながら、今日も僕は、己の信念に生きていく。 けもの道を切り開いたり、時には大通りを闊歩したり。 それでも振り返れば、僕だけの軌跡が伸びている。 自分の意志で踏みしめた足跡が、気高く猛々しく、正当性を主張してるから・・・、僕はこれからも、デラックス焼きそば弁当を、食べるでぇ・・・!(ただそれだけの日記)
